元信者Cと強制棄教について ~メンバーSの手記~ (2)

  1. 日本における反対活動の実態
  2. 元信者Cと強制棄教について ~メンバーSの手記~ (1)
  3. 元信者Cと強制棄教について ~メンバーSの手記~ (2)
  4. 元信者Cと強制棄教について ~メンバーSの手記~ (3)
  5. 摂理の反対者「あっこ@駅長」の記事の嘘と矛盾について(証言1)
  6. 摂理の反対者「あっこ@駅長」の記事の嘘と矛盾について(証言2)
  7. 摂理の反対者「あっこ@駅長」の記事の嘘と矛盾について(証言3)

監禁による強制棄教の実態

ここで、後にCも体験した、監禁による脱会工作ついて、私や他のメンバーの実体験に基づいて説明したいと思います。

私は、1998年7月から8月にかけて24日間、立川の短期賃貸マンションの一室で、家族とA牧師から、監禁による脱会説得を強いられました。

その手口として、まずA牧師は、自分が先に脱会させた元信者を使って、他のメンバーの親に電話をさせ、「お宅の子供が危険なカルト宗教に入っている。親の説得には耳を貸さないから、やめさせるためには、摂理に詳しいAという牧師に依頼するしか方法がない」と話をさせます。
そして、その密告に衝撃を受けた親が、藁をもすがる思いでA牧師に連絡をしてくると、約1カ月間短期賃貸マンションの一室を借り、そこに本人と家族全員が集まるようにと、監禁の手はずを整えさせます。

そこで、親に相談され依頼されたという形で、A牧師が登場し、本人と対面します。その後は、家族に監視され、外部との連絡を一切断たれた中で、連日A牧師から摂理に対する悪評を聞かされ、A牧師と家族から脱会を迫られます。
子どもが脱会を口にするまでは決して解放されず、心身ともに疲れ果てた中で本人が信仰を諦めると、A牧師はその名目の謝礼や献金であるとを問わず、成功報酬を受け取ります。このような活動をする牧師らは、一般に『脱会屋』と呼ばれています。

実際、私は、監禁後に父親が「今回のことで160万円かかった」と話しているのを聞きました。1日約1万円の部屋代と光熱費が24日分で約30万円、家族5人分の弁当や外食代と生活雑費が1日1万円とすると、24日で約30万円、残りの100万円がA牧師に渡ったと推測できます。

私の友人メンバーの親御さんは、Cからの密告電話で監禁を勧められ、そのためには相応の費用が必要だと言われ、提示された金額に憤慨し、Cが送りつけた摂理批判の資料を、むしろ教会に提供するようにと子どもに手渡したと、私はそのメンバーから直接聞きました。

私のその高層マンションでの監禁が終わるころ、A牧師は私と家族に、「今ここにあなたのような別の宗教の信者が他に2人入ってますよ、大変でね。」と言っていました。
夏休みや春休みの長期休暇になると、必ず、帰省したきり連絡が取れなくなるメンバーが数人出て、その顛末が分かるのは、メンバーがそのマンションから解放された後でした。A牧師は私に、1980年代からずっとそのような活動をしていると言っていました。

私は最初、親から「家族で買い物に行こう」と誘われて外出したのに、突然狭い部屋に閉じ込められ、ひどくショックを受けました。どんなに拒んでも、ほぼ毎日、A牧師に会わせられ、一方的な鄭牧師批判と私の信仰を否定する話を1日に2~5時間聞かされました。
読まされる資料は、すべて教会を悪評するもので、外出も電話も一切禁じられている中では、その真偽を確かめることは不可能でした。

A牧師の誘導する通りに反応せずその流れに逆らうと、鋭く睨みつけ、苛立った様子になり、攻撃的な口調で責められました。それでも私が粘り強く正当な反論をした時は、A牧師は顔を赤らめて激高し、机を拳でドン!と叩きながら、「あなたと話していると不愉快になる!」と声を荒げました。そのように高圧的なので、非合理だと思っても一方的に話を聞かされるしかなく、納得のいくような対話ができる相手ではありませんでした。

ある時は、A牧師の摂理の教理批判に対して、私が聖書を開いて反論すると、パッと切り上げて帰ってしまい、次に現れた時には、その話には一切触れないまま、全く脈絡のない別の批判資料を持ってきて攻撃を始めました。

またある時は、A牧師が一方的な批判をしたまま、こちらの意見は聞かずに帰って行き、その後同席していた親から私の見解を聞かれたので話すと、どうやらその話が陰でA牧師に伝えられていたようで、次の時、A牧師は来るなり、私のその見解を否定するための資料を提示してきました。

対話とは名ばかりで、あまりに操作的で不誠実なやり方ではないかとしばしば憤りを感じましたが、相手の人格的な弱さを面と向かって指摘することは、いやしくも信仰者である自分には避けたいことで、また手段を問わぬほどに必死な親が気の毒であり、最後までA牧師らのやり方に付き合いました。

A牧師はまた、別の新興宗教の教祖の淫乱な実態を暴露した批判本や、カルトによるマインドコントロールによって信者が正常な判断能力を失っていくことを説いた書籍を、24日間に10冊ほど読ませました。
その内容は恐ろしいもので、それを読んだ両親は日に日に思考がに追い詰められ、視野狭窄に陥っていきました。

監禁マンションに入った当初、A牧師との話し合いを親に断りきれなくなったとき、私は父親に、まず私から摂理の聖書解釈を聞いてみてほしいと言い、5~6時間かけて、一気に概要を話して伝えました。
慎重に聞いていた父は、「特におかしい話だとは思わない」と言い、しばらく目を閉じて考え込んだ後、「もしもお前とあの牧師の話し合いが物別れに終わったら、お父さんはお前の教会でこの聖書の話を全部聞いてみるよ。一回2時間くらいなら聞かせてもらえるだろう?教会はタバコはダメだろうからな。お父さんはタバコを吸わないのは2時間が限界なんだ。」と言いました。
その夜は深夜まで、信仰や家族のことについて過去になかったくらい深く対話し、とても良い時間を過ごせて感謝しました。

しかし、翌日からA牧師による一方的で執拗な攻撃が始まり、数日後には、両親は心理的に追い込まれ、私に何としても摂理をやめさせるという考えしか持てなくなっていました。その状態で監禁を長引かせても家族を苦しめるだけであり、もはや状況を好転させることは不可能だと覚った私には、「教会に通うのをやめます」と偽る以外、監禁状態を終わらせる術がありませんでした。

A牧師は、「ひとりでゆっくり考えるゆとりがないように、なるべく狭い部屋を借りるように」と親に指示していました(後日、父親談)。6畳ほどのワンルームには布団が2組しかなく、一家5人でそこに寝泊りするには、ソファベッドに布団無しで母が、いちばん長身の兄弟が布団の一部を使って玄関すぐの狭い通路に、父ともう一人の兄弟と私が、二組もない布団を繋げて残りのスペースで休むしかありませんでした。

昼間も常に家族の誰かが部屋にいるので、狭いトイレとお風呂以外には、24日間、ひとりになれたことは一秒もありませんでした。
非日常の中で本人を追い詰めなければいけないからということで、食事を作ることは基本的に禁止されており、毎日ほとんど同じ店のお弁当とファミレスの食事でした。

自宅には高齢の祖母がひとりで待っていること、親も兄弟も全ての仕事と日常生活を絶って監禁に参加していることなどを思うと、本当に心が痛みました。
母親は、娘をカルトに奪われたと言って、朝起きると、窓の外に向かって「S(私の名前)!帰ってきてー!!」と泣き叫び、父やきょうだいからも泣かれたり、なじられたりしました。
私は、愛する親兄弟が自分のために大きな犠牲を払い、嘆き、号泣する姿を見ながら、理解されない無念さと申し訳なさで胸が締め付けられる思いでした。
だからといって、自分の人格存在にかかわる内的な問題である信仰を、家族やA牧師の言いなりになって、一時の異常な環境の中で断念するわけにもいかず、血を吐くような苦痛と葛藤の中で過ごした24日間でした。自宅に戻った時には体重が5kg落ちていました。

私の監禁の直後に、私と入れ替わりで、大学の後輩がそのマンションで、やはりA牧師から監禁による説得を受け、脱会していきました。
その元メンバーに大学でバッタリ会ったときに、A牧師についての印象を尋ねると、「んー、最後まで好きにはなれなかったなぁ・・。いつもタバコの臭いをプンプンさせて来て、一度もお祈りもしなかったし・・。自分は摂理をやめてもキリスト教の信仰は持ち続けるから、通う教会をさがしているけれど、Aのところには行かない。結果的に要求はされなかったけど、もし最後にAから、教会のメンバーのリストを書けと言われたら、どうしてあなたのやっていることに僕が加担しなくてはいけないんですか!と、絶対に断るつもりだった。脱会するのにあのやり方しかないとは思えない。」と語っていました。

私が摂理をやめると言った翌日に、私の家に密告の電話をした元友人メンバーが、遠方から私に会いに来ました。彼女は私のわずか1カ月前に同じ場所で監禁され、脱会していました。
彼女が脱会を決意すると、A牧師が「自分だけ脱会して、それでいいのか」と言い、教会の全メンバーの名簿を書くよう言われ、数人の家に密告の電話をしたんだと、その元メンバーは私に話しました。

私の親は、密告の電話を受けた後、A牧師に会い監禁の説明を受けた時、この人ではムリだ、娘を説得できないと思い、しばらく悩み、しかし他にいないなら仕方がないと思い依頼したんだと、後に私に話しました。

私が監禁から解放されるとき、A牧師から、A牧師の教会の聖書勉強会に通うよう勧められました。気は進みませんでしたが、断ると親が心配すると思い、数回通いました。
一回目、開始時刻より早く私が到着すると、私の脱会に気を良くした様子のA牧師は、長年の脱会活動で集めた元摂理メンバーの御言葉ノートや、私の家に密告した元メンバーが私の脱会を喜びA牧師に感謝を綴った手紙などを披露し、それまでの自分の脱会活動の実績を語り、饒舌でした。
そして、タバコをふかしながら、「オレなんかけっこう単純だからね、イエスが雲に乗って来るっていったらそのまんま信じちゃうけどね。」と重みなく話しました。
 
その数日後、私は、私の家に密告電話をした彼女に会いに行きました。
摂理の教えが歴史的事実に反していると主張するためにA牧師が示した歴史資料は、諸説あり絶対的なものではなく、摂理で教えていることはきちんと他の歴史資料に明記されていることなどを伝えました。
そして、あのような一時的な異常な環境の中で性急に信仰を諦め、熟慮のないまま、また他の家庭の事情も知らずに、あのような非人間的な手法を無責任に勧め、電話一本で他人の家庭を混乱に陥れるようなことはやめるべきだと話しました。
その上で、私は摂理の信仰は信じるに値すると思う、もう一度冷静に考えてみてはどうかと話しましたが、もとより彼女は聞く耳を持ってはくれませんでした。

その翌週、二度目のA牧師の聖書勉強会に行きました。A牧師は、私がその彼女に会いに行ったことをすでに知っていたのか、前回とは様子が一変し、氷のような冷たい態度で、4人しかいないその勉強会の場で私とだけは一切目を合わさず、終始一言も言葉を掛けてくることはありませんでした。
もしも彼が、報酬を念頭に置きつつも、私の信仰を真に心配する気持ちが多少でもあって脱会説得をしていたのなら、監禁を経ても尚私の信仰の変わっていないことを知って、少しでも話し合ってみようとするものではないかと思い、彼の真意を見た思いでした。

またA牧師は、信者が脱会を表明すると、誰に対しても、A4のレポート用紙20枚に、入信から脱会までの経緯や考えの変化を詳しく書くよう、課題を課していました。
私は、一刻も早くそこを出なくてはと思い、一行飛ばしで大きな文字で一気に書き、内容は、教会やメンバーについての詳しい情報に触れないよう、抽象的な話や瑣末な事柄を詳しく書くことでページを満たしたので、脱会の真意のないことを容易に見破られるのではないかと怖々した思いで提出しました。
しかし、受け取ったA牧師は、その場でパラパラと目を通し、「まだナナメ読みだけど、だいたい良く書けてるんじゃない」と言い、翌日には私と両親に帰宅を許可し、あっさり解放されて監禁が終わりました。

→「元信者Cと強制棄教について ~メンバーSの手記~ (3)」